2007年03月02日

ネパールでの日記。

3/8■集合の日 荷物は15kgまでだった
 9■成田から Bangkok へ Arima airport hotel で宿泊
    とっても快適
10■Hotelの朝食が美味 Bangkokの空港で食事
    みんなまずかったらしい
    自分は無難だった バネパにつく 夜はとてもさむい
11■チベット国境へ 4時間バスに乗りっぱなし つかれた。
    まるでNHKかなんかのドキュメンタリーみたいな山道を通った。
12■はじめてのおしごと トイレの土台をつくった。
    レンガはこんでセメントぬってのくりかえし けっこーだるい。
    夜のおはなし
13■昼から上へけっこーらく
14■上はすずしくて快適 レンガつむだけならいつまででもできる
15■引越しを手伝う。道はゆれるし 荷物を5Fまであげる
    スチールのBOXが憎い 昼間ピザをたらふく食ったため
    腹がきつい 夜はディスカッション 初恋についてだという。
16■午前中はかべ 午後はレンガを運んでました。
17■今日はカトマンズでおかいもの。
    首かざりをかって120$もボラれる
    私は自分のうかつさとお人よしさに言葉を失う
    二度とこのよーなくやしい思いをしたくない
    今日のくやしさをバネにしてやる。
    このことだけでネパールを嫌いになりたくない。
    あと自分に大金は似合わない。 
    手元にあるだけ使ってしまうことを再確認。
    そして人を見る目を養ってやる。
18■本日は観光さ行ってきただ。そこでの物売りの人のたくましさと
    商魂の中に生活が根付いていることを実感して
    世界が違うということを再認識。
    さらに物ごいの人のすがるよーな目がやきついてはなれない。
    はじめは無視できたんだけど移動の際に
    窓の外から見えた幼い少女。
    たまたま自分にお金がなかったので何もできなかった。
    嫌だったけど目をそらせなくて
    情がうつってしまいとても気分が悪い。
    彼女に対して自分に一体何ができるんだろう。
    又、ネパール全体で
    何人彼女のよーな境遇にある人がいるのでしょう。
    今まで見た人たちは一様に貧しさの中にもたくましさと
    明るさを感じることができたんだけど、今日見た人たちは多分
    最貧層にいちする人たちで、その姿は私たちのあわれみを
    さそうに十分でスゴイショックをうけました。
    彼女と自分との間には本当に超えがたいかべがあるんだ
    ということを今さらながらに感じました。
    全ての人に豊かさをという事を望もうとは思いません。
    ただ全ての人に生きるに十分な食料と
    自分の力でくらせるだけの
    生活力を持たせる事はできないものでしょうか。
    日本の生活の影に彼女らのぎせーがある事を考えると
    今までの生活がきょしょくにかざられた
    うすっぺらなものに感じられます。
    彼らの上に神の恵みが豊かに降ることを
    願わずにはいられません。
19■本日は労働場所を4回も変えられた。
    いってることはちぐはぐだし、やったとこは直されるし
    もー散々。たまにはこーいう日もあるということか。
    夜は星がとってもきれーでおどろいた。
    月が昇ってくるのが夜の9時という
    なんかうそみてーな話。
20■本日の午後、カトマンズに行ってきただ。
    前回の経験をふまえてシビアな目で
    物をながめることができたんだけど
    殺したいほど憎らしい宝石商の行商はやっぱりいなかった
    今ごろ遊びくらしているんだろう。
    今日あらためて気づいたのは物売りの人たちも
    生活のためやむなく観光客相手に仕事しているということ
    彼等にしてみればプライドもくそも
    生きるためには抑えなければならないのだろう。
    それを金持ちで世間しらずのボンボンが
    土そくのまんまでふみじにったとしたら
    彼らの心はどれだけきずついたことだろう。
    今日、時計と変な安い楽器を交換したのは
    彼らの直の心にふれたから。
    自分のためにも相手のためにもならない事は
    百もしょーちなんだけど、彼の真剣なまなざしを見て
    彼の語る言葉
    「日本に帰ると時計はいくらでもあるんだろう?
     だけど私には時計がない」
    ネパールではそういった事があたり前だということに
    今さらながらおどろいた。
    自分の認識の甘さに気づき恥ずかしく
    時計を交換したことよりも
    彼らから聞いてはいけないことを聞いたよーな気がして
    帰るのバスの中で胸がムカムカして気分が悪かった。
    夜のミーティング早く終わったんで友人の話をきーた。
    そこでも自分が何もしらないお子様で
    世間から親から幸福な生活を受けていることを
    今さらながらに感じることができた。
    守られている事がわるい事だとは思わない。
    だけどそうじゃない人がいる事を知らずにいる事は
    その人のためにもみんなのためにもならない事だと思う。
    大きくなりたい。
    他人の良い事も悪い所もうけとめるだけの広さと深さ。
    そして強さを持った人になりたい。
21■今日はらいのせいせつを見てどっかの家のやねをつくった。
    なかなかハードで大変だった。
    服やくつがセメントだらけになる。
    夜ポカラで昇るための証明書みたいなものを書かされた。
    残りの少ない事を今さらながらに実感。
22■今日は1Fでレンガつんでました。
    けっこーつかれました。労働はあと1日だけでおしまい。
    午後はバネパの女性の集会に出席して
    ぐだぐだと話をきかされました。
23■今日は1Fで肉体労働に従事していました。
    右肩のあたりが痛くてどーしよう?
    あとはトレッキングだけで労働の最終日の今日は
    充実した仕事をしました。
    午後に数人がサンディという少女の髪を切り
    身体を洗ってあげてほほえましいと思っていたら
    そのお母さんが周りのほかのネパールの人たちから
    いちゃもんつけられていたそーです。
    とってもブルーになりました。
24■今日はポカラでトレッキング。
    出発はおくれるし、バスのフロントガラスが割れたり
    8時間近くバスの中にいて疲れた。
    さらにトレッキングの最中
    雨がふったり暑かったりともー大変。
    曇っているのが最大の敗因だと思うけど
    山なみはさすがネパールってかんじです。
25■今日はけっこー楽だったけど
    途中で雨がふってひどい思いをした。
    だけどマチャプチャレがきれい。
    夜に雨がどんどんひどくなり一部のテントでは浸水していた。
    かみなりもなって最悪かも。
26■水びたし、冷たいしさむい本当に雨が続くなんて思わなかった。
    歩き続けて足は痛いしさむい。つかれてもーだめかも。
    そのかわり夜はペンションで泊まれることになった。
    にしてもさむい。これだけは本当にどーにかしてほしい。
27■午前中は晴天。
    最高の天気の中を降ってきたのにお腹はさいあく。
    しくしく痛いでしょう。
    午後前にポカラへとーちゃく。
    ホテルはそこそこよい。
    街の人があんましふっかけないんでよい。
    散々ぼられた私がいうのだから間違いない。
    ここだったら住んでもいいかもしれないとさえ思う。
    物価高いけど。街はきれいだし。
    明るいしほこりっぽくないし。
    おみやげかって残金0状態へ。
    友人に夕飯をおごってもらう。
28■今日の半分はバスにゆられてすごした。
    ゲロはきそーだった。
    かんこーは 「I have no money」 みるだけーでした。
    レストラン富士はまぁまぁだった。
    これで全てがおわると思うと心がはればれするかもしんない
    かんそーかきおえて気分はハイ
原文そのまま一部人名とかをぼかすぐらい。
もう随分と昔になってしまいますが、高校を卒業後
春休みを利用して2週間ほどネパールでレンガ積んでました。
うん。
なんかそういうボランティア団体があったのです。

大まかな目的は口唇口蓋裂という病気の治療のため
現地で医療施設を建設するというものでしたが
特にコレといって特別な技術を持たない私は肉体労働に従事。
ボランティアと言っても参加料はタダじゃないですし
そのお金で現地のスタッフを雇ったほうがよっぽど安い上
現地でも雇用ができるとは思いますが
これはまぁ…参加者に心の成長を促すプログラムのようなものなので
費用対効果とか言い出すのは野暮ってものでしょう…多分。

それと私、馬鹿の子じゃないですからね?
何度もボラれて凹んでるけど。
当時の雰囲気をそのまま知ってもらおうと思って
適切な漢字変換をせずに掲載しました。
日中はお仕事で忙しかったし
疲れてたから難しい漢字なんて調べたいとも思わなかったし。
辞書も携帯電話もなかったんだから!
威張れることじゃないけどなー。

大雑把な解説。

17■まず最初のボッタクリに遭遇したのは宝石の原石関係。
    当時は百円均一もなかったし相場も知らなかったので
    さぞや良い鴨だったことでしょう。
    数人に囲まれて屋内に連れて行かれたので
    ものすごーく怖かったのを覚えています。
18■これ…今でも結構なトラウマになっていたり。
    私に何ができるとも思っていなかったけど
    ネパールの人のため何かをしよう! …って思っていたのが    
    思いっきり勘違いだということに気づかされました。
    どれだけ私が頑張ったとしても
    あの娘を救うことはできないというのが
    凄いショックというか何と言うか…ね。
    「これが世界の現実なのよ」と
    ハンマーで頭を殴られたような衝撃を覚えました。
20■はい。またまた鴨にされちゃってます。
    交換した腕時計…結構気に入ってたんだけどな。
    ただの露天商にまで感情移入してどうするよ…私。
    これもまた根深い問題ですよね。
    後、友人から聞かされたのは在日朝鮮人の問題です。
    ひとりだけパスポートも違い
    入国管理局などでも悪戯に時間がかかっていました。
    普段、そういうこと意識すらしてなかったですし。
21■ハンセン氏病の施設です。
    当時は(多分今も)根深い偏見が残っており
    政府からの支援なども満足とはいえない状況でした。
    国そのものが貧乏だから仕方がない面もあるんですが。
23■サンディは貧困による発育障害があった少女です。
    明るく素直な良い子なんですけど…ね。
    やっぱり村の人から馬鹿にされているような感じで
    同じ村にあっても根強いカーストへの意識がありました。

カルチャーショックって凄いですよね。
いつか機会があればまたネパールに行きたいとは思いますが
あの頃より、さらに英語力落ちてるだろうしなー。
後、マオイストが暗躍しているせいで
かなり政情が不安定だったりします。
王様を廃絶したところで国民の生活は豊かにならないのにね。
posted by のあなな at 03:57| 北海道 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする