でも昔はもっと好きでした。
先日、実家に帰って部屋の整理をしていたところ
いろいろと雑文を書き散らした束を発見しちゃいました。
多分…某所の掲示板にアップしたものか
どなたかにメールで吐露したものかと思われますが
あまりにも暑苦しい内容だったため
思わずその内容を晒してみたくなりました。
べ…別にネタがないからとか
そんな裏事情があるわけではないですからっ!
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まず第一にラムザとディリータの理想像について。
ふたりが「平和で差別のない暮らしやすい社会」を
目指そうとする目的は共通しています。
しかし目的が一緒でもふたりは出発点も違えば動機も違う。
そして何よりおかれた境遇が大きく異なります。
又、目的に対するアプローチがあまりにもかけ離れています。
これだけ違うふたりがたとえ
同じ目的・同じ理想を抱いていたとしても
最終到達点が自ずから異なったものになるのは
ある意味必然ではないでしょうか?
ディリータがティータの死により
自らの手で理想の社会を掴もうと望み
そのために王位と権力を欲して
他人を受け入れられず
自分の行動を縛り付けてまでも
覇者という孤独な道を歩んでいこうとするのに
ラムザは自分の置かれた境遇に悩み
傷つきながらも
仲間や友人たちとの様々な出会いと別れの中で
自分の道を発見していきます。
ディリータは頑ななまでに他人を拒絶し
痛みを自分ひとりで背負ってしまうのに…ね。
そしてラムザとディリータが最終的に下した決断こそ
ふたりの考え方の違いを端的であるにせよ
示しているとはいえないでしょうか?
ティータとの約束を守り
覇者として歩み始めるディリータ。
(勝手にディリータが誓ったんですけどね)
そして社会を改革するなどという
大きな使命に燃えるのではなく
自分の大切な人を守りたい。
人々に笑顔を取り戻したいという私的な理由で戦うラムザ。
ディリータにとって大切な人は
どれだけ望んでも得られないのに
ラムザはアルマだけでなく
仲間も友人も…彼に接する全ての人が幸せになるために戦います。
王位や差別のない社会といった象徴的なものでしか
幸福を見つけられなかったディリータ。
しかし、ラムザにはアルマがいて仲間がいる。
…ふたりの差は歴然としています。
EDでラムザが王位やディリータには目もくれず
アルマと去ってしまったこと。
言いたいことはたくさんありますが
ラムザの行動はゲームのEDに相応しいものではないでしょうか?
結局、ラムザが望んでいたのは
王位でも、差別の無い社会でも、歴史の真実でもなくて
側に大切な人がいて…自分とその人が幸福であるという充実感。
そのために戦っていたのではないでしょうか?
自分が愛し、愛される存在であることを知っているがゆえに
他人に対しても優しくなれる。
ラムザを見ているとそんな風に感じてしまいます。
自分の大切な人を守りきり
世界の平和を守ったラムザにとって
実は王権争いなんてどうでもいいことだったのかも…。
(石を投げられるかな?)
ただひとつ言えるのは
EDのラストでディリータが呟いた台詞。
ラムザが手に入れたものとディリータの手にしたもの。
優劣はつけられませんが
少なくともラムザとディリータも
ラムザが手にした幸福が決して
ディリータの手にした王冠に引けを取らない
大切で価値のある物だということを知っていたのではないでしょうか?
第二はベオルブという名前について。
ディリータの出発点がティータの死であり
貴族階級に対する疑問と反発であることは疑う余地もありませんが
ラムザの出発点となったであろう出来事は
ティータの死であると同時に
ベオルブという名の重圧であることは
他の人も指摘されている通りだと思います。
騎士としての名門の家であるベオルブ家。
未熟なラムザの心労はいかほどのものだったでしょう?
しかし私はラムザがいつまでも
ベオルブという名前に縛られ続けていたとは思いません。
確かにラムザの出発点は
ベオルブ家の一員として名前に恥ずかしくない人間になろう。
…ということでした。
しかし、様々な人との出会いや別れの中でラムザは
ベオルブという名前にどれだけの価値を見出したのでしょうか?
貴族階級の驕りと高ぶり。
階級社会の醜さをつぶさに眺めてきたラムザが
ベオルブという名前に大きな感慨を持てなくなっていたとしても
そう不思議なことではありません。
ラムザは最後までベオルブ家の男として
立派な人間になろうと努力しましたが
彼の行動そのものは
決してベオルブという名前に収まりきれないような気がします。
ゴルターナ公にオルランドゥ伯がついていても
戦乱が治まらなかったように
たとえバルバネス父さんが生きていても
ラーグ公を止めることは出来なかったでしょう。
ベオルブという名前が
大きければ大きいほどそれに対する重圧は大きくなります。
そしてベオルブという名前にしがみつくということは
貴族社会にどっぷりとはまって
自由な思考が阻害されるということではないでしょうか?
そう…二人の兄さん達のように。
ラムザのリベラルな考え方や
その行動を見ている限り
ラムザの言うベオルブの名に恥じない人間になりたい。
…という彼の言葉は
同時にひとりの人間として
何が正しいのかを自分の目と耳で確かめ
自らの意思で行動できる人間になりたいということではないでしょうか?
そして実際にラムザの行動はそれに近いものがあります。
騎士の…そして世間の常識に囚われない
自由な発想と行動力は
既にベオルブという名前を超えているのではないでしょうか?
結局、何が言いたいのかというと
ラムザの行動はベオルブの名前に負けないような人間になろうという
出発点から出たものではあるけれど
彼の行動そのものは、ラムザが出会い経験した
様々な出来事の中から自分で考え
導き出した結果なのではないかということです。
EDでラムザ&アルマのベオルブ兄妹の葬式が行われたことも
ふたりがベオルブの名前に縛られることのない
ただのラムザとアルマとして
第二の人生の出発を祝うものであったと考えるのは考えすぎでしょうか?
そう考えるとあのEDも結構…
ラムザとアルマのふたりにとっては
ベストなものだったのかも知れませんね。
それにしてはディリータとオヴェリアの扱いがあまりにも…。
いや言うまい。(充分すぎるほど言ってるってーの)
…戯言ですけどね。
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長すぎ。
そして無駄に感情移入しすぎです。
基本的に内容は当時のままで
文を整のえるために改行位置を変更したぐらいだったり。
何と言うか…私も若かったのね。(苦笑
今でも某掲示板で煽って煽られてをしてたりしますので
全ッ然成長してないだけかも知れませんけど。
やっぱりPSPを買わなきゃいけないのかな…orz

