2007年05月19日

長江文明について。

はじまりは多分、日本のお米がどこから来たのか?
…って疑問からだったと思います。
日本人は文化的にほぼ単一の民族と思われています。
勿論、琉球やアイヌなど明らかに異なる文化もあるんですけどね。

では人種的にはどうなのかと言いますと
縄文・弥生・アイヌや琉球だけにとどまらず
中国や韓国などから渡来してきたと思われる人など
いろいろな特徴を持った集団が入り交じって
日本人という集団を形成されていると言われています。
最近のDNA研究やヒトゲノムの解析でも
いろいろな事実が判明していますよね。


稲作は約7000年前に栽培されるようになったと言われ
インドの東北部のアッサム地方から中国南西部の
雲南地方ではじまったという説が現在では有力視されています。
ちなみに山岳地帯の周辺での陸稲栽培から始まり

長江文明の発見から稲(ジャポニカ米)の原産が
長江中流域とほぼ確定されたため
稲作の発祥もここと見られているそうで
日本の稲作もここが源流と考えられているそうです。

そして縄文時代(約2700年前)の日本に
ジャポニカという種類が伝来してきました。
最近の考古学の遺跡発掘で縄文時代にはすでに
日本で稲作が行われていたことが分かっています。

その伝播ルートに関しましては
 ◇朝鮮半島ルート
 ◇長江・東シナ海ルート
 ◇中国南部・台湾・沖縄ルート
の3つが考えられています。

個人的に朝鮮半島ルートは
稲の北限のこともありますし
あまり考えにくいんですけどね。
■稲の朝鮮半島経由説の無理と江南説
こちらのページに簡潔にまとめてありますが
朝鮮半島の比較的南の方をかすめて
やってきたというなら確かに問題はないのかも。

当時から水田で栽培されていたので
東アジアや日本の人々は
毎年同じ場所で定住して稲作を行っていた
農耕民族が中心だったとされています。

以前は古代の四大文明といって
エジプト・メソポタミヤ・インダス・黄河の各文明の歴史が
その他の文明よりも古い歴史を持つと考えられていたため
多くの文明の発祥と目されていました。
実際は他の文明の研究が進んでいなかっただけなんですけどね。

ちなみに wiki によりますとこの考え方の原型は
梁啓超の『二十世紀太平洋歌』(1900年)にありまして
「地球上の古文明の祖国に四つがあり
 中国・インド・エジプト・小アジアである」と述べている。

この考え方はアジアでは広まったものの
欧米では受け入れられなかった。
また、考古学研究が進展した現代では
初期の文明を4つに限定する見方は否定的であり
四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものといえる。
…とバッサリ切られております。

欧米では受け入れられてなかったのね。
教科書の記述を鵜呑みにしてると大変なことになります。
アジアでこういった考え方が広まったのも
19世紀における欧米に追いつけ追い越せ精神からでしょうし。
なんか…いろいろ勉強になりますw

ちなみに文明を4つに限定する見方もそうですが
文字の有無などにより
文明に優劣をつけようとする考え方そのものが
私の感覚だとちょっとねー…と思ったり思わなかったり。

南米に広がるメソアメリカ文明や
ライン川流域に広まったと考えられているケルト文明などなど
いろいろ興味を惹かれるものがあるんですが
本日のメインは長江文明ですよ長江文明。
揚子江文明で検索したらまーったくヒットしなくて焦りましたw

■長江文明 − Wikipedia
まずは定番の wiki の記述からどぞ。
ここでのポイントは長江流域には古くから
黄河文明とは異なる文明が発達しており

特に1973年・1978年の発掘調査で発見された
浙江省余姚市の河姆渡遺跡(かぼといせき)は
紀元前6000年〜紀元前5000年ごろのものと推定され
黄河文明の多くの遺跡より古いばかりか

大量の稲モミなどの稲作の痕跡が発見され
しかもその住居は高床式だったことが判明したことでしょうか?
稲作のルーツだけにとどまらず
日本人の源流探しにも繋がりそうな感じです。

■長江文明と古代日本−黒潮をめぐる舟の文化
こちらのサイトでは長江文明に伝わる「船の文化」と
古代日本の関わりが丁寧に描かれています。
他の項目も読み応えがあって素晴らしかったり。

古事記における因幡之白兎の逸話なんかにも
和邇=ワニが出てきて南方文化の影響が見て取れますしね。
ちなみに鰐ではなく鮫のことだとする説もありますけど
同じく古事記のトヨタマヒメ出産の場面では
わにを鮫としたのでは伝わりにくい部分があります。

八尋の和邇(やひろのわに)となったトヨタマヒメが
陣痛のあまりに「匍匐ひ委蛇ひき」と古事記にはあります。
匍匐とは「はらばう」ことであり
委蛇とは「くねくねと身をくねらす」ことだそうです。

その仕草から鮫を連想するのはちょっと難しいですよね。
この記述もワニと解釈すれば自然に受け取れると思います。
つまりここにあるワニのイメージって
南方からやってきた人々の記憶が
古代日本の神話に反響しているのかも?

いろいろ考えると止まらなくなりそうです。
posted by のあなな at 03:03| ☔| Comment(2) | TrackBack(0) | さいえんす | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
スサノオがアマテラスに天叢雲剣を渡したのは、出雲が大和へ鉄器を供給したという、考古学的な見地と対応するのではと思います。しかし出雲神にはスサノオとオオクニヌシという2人の大物の神様がいるのかというのは、弥生後期の出雲の状況を見ればわかります。島根県安来市を中心とする東部出雲王朝(スサノオ)と島根県出雲市を中心とする西部出雲王朝(オオクニヌシ)があったのです。東部出雲王朝は早期に発達し、長きに渡って繁栄しヤマトへの鉄器供給を行った。西部出雲王朝は東部の分家として発達したが、東部よりも発展しやがて、北陸あたりまでの日本海沿岸に渡る大国家を作りました。それで大国主といわれます。しかし、それより少し遅れて大和が発展し、西部王朝は短命に終わり、これが国譲りに対応します。一方、大和から見ても東部王朝は本宗家だったので、スサノオとアマテラスは兄弟と言う設定になっていますが、この事情のため滅ぼさなかったと考えられ、この子孫が蘇我氏のような大豪族になって行くと思われます。
Posted by たたら at 2009年09月10日 20:05
たたらさん、はじめまして。

大和朝廷の成立に関してはいろいろと興味が湧きますよね。
吉備津彦の扱いや宇佐神社などもそうですが
やはり出雲の扱いはとても難しいように思います。

朝鮮半島南部における任那の扱いもそうですが
古代における製鉄技術の伝播に関しては
ヤマタノオロチ伝説と製鉄技術の関わりも示唆されたりと
様々な学説があり非情に興味深く思っています。

私は大和朝廷は幾つかの豪族や有力氏族からなる
合同政権のようなものからスタートしたと考えていますが
出雲の扱いはやはり特別だったようですね。
Posted by のあなな at 2009年09月16日 16:37
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